2011.6.6 ブログ始めました

ホームページの新装開店に伴いブログなんて物を始めました。

私ごときマイナーな作曲家のブログなんて誰も見ないと思いますが、自己満足で楽しみたいと思ってます。

私の作品のファンの方、もし来られましたらお声をかけてくだされば 嬉しいです。

2014年12月30日火曜日

さようなら悲劇の2014

12月22日に、いつも心の支えになってくれていた大親友が亡くなりました。

まだ47歳なのに、悲しくて、寂しくて、体半分無くなった気分です。

あまりにも辛い出来事で脱水症状になるくらい泣きました。

2月に母が、そして12月に親友が・・・・・・・・。

2014年は私の大切な物をいっぱい奪っていきました。


母を亡くして生きる理由を失い、寂しくてすがった恋を失い、

とどめに心の支えの親友を失い、憎きかな2014。


残酷な事に、それでも私にはまた明日がやってくる。

だから、全部受け止めなきゃね。

母や親友の為にも、必死で生きていこうと思います。


今年は悲しい話題が多く、みなさんにも心配をかけてしまいましたね。

来年こそは楽しい話題でいっぱいなブログになることを信じてがんばります。

さようなら悲劇の2014。


今年も多くの方にブログを読んでいただきありがとうございました。

コメントくださった方々には本当に感謝しています。


今だマイナーな作曲家ですが、来年も応援どうかよろしくお願いします。

2015年が皆様にとってすばらしい年でありますように。

もちろん私にとっても。(^^


2014年12月4日木曜日

ファイナルファイト オリジナルサウンドコレクション

先日、ファイナルファイトのサントラCDが発売されるということで

インタビューの依頼を受けました。


HPのプロフィールには記載していませんが、実はアーケード版で

一曲だけ書いてるんですよね。どこのステージ曲か、どんな曲かも忘れていましたが、

今回のインタビューの件で曲を聴かせもらい唖然としました。

若気の至りとはこの事を言うのかと思うくらい恥ずかしい曲を聴いて

22年も昔を思い出しました。この曲を聴いて、今の自分が少しは成長してるのだ

ということに気づきました。カプコンさんありがとう!(^^;


ということで、インタビューの内容やコメントなど、私が書いたライナーノーツもあるので

よかったら購入してくださ~い。ヨロシク!!

詳しくは下記で。

http://www.famitsu.com/news/201410/20063888.html


~追伸~

スマホアプリの仕事は残り1曲となりました。さて、ラストスパートでがんばるぞ~!

2014年10月21日火曜日

BUNBUNが動き出した


先日、友人の紹介でスマホアプリゲームの作曲の仕事を頂きました。

まだ機密事項なので内容は明かせませんが、年末までは忙しくなりそうです。



母の介護と死、そして失恋。

いろんな苦しみや悲しみの連鎖で何もする気にならなかった数年間ですが

そろそろお尻が痛くなったので立ち上がる事にしました。お仕事を紹介してくれて

動き出すきっかけを作ってくれた友人にほんと感謝しています。

やっぱ音楽しかないのかな・・・・・・・・・・・・。

久しぶりのBUNBUNのゲーム音楽にご期待ください~い!!



追伸 : とりあえず一曲OKもらったよ~。(^^




2014年10月5日日曜日

片思いの終わらせ方

現在派遣で働いている会社が来春移設する事になりました。

片思いの彼女は通勤範囲外となり辞めそうです。

でもこれでやっと苦しい片思いを終わらせる事ができると思うと寂しいけど

少しホッとした気分です。昨年5月から今までずっと、早く諦めて楽になりたいと思って

いても、いざ諦めようと思うと、とても寂しくて想いを捨てる勇気が出ないまま苦しんで

いました。年を取ってから恋をすると弾けれないので、ほんと厄介ですね。(^^.

皆さんはどうやって片思いを終わらせてるのでしょうか?


2014年9月11日木曜日

完治しました。

7月中旬に患った前庭神経炎はすっかり完治しました。

かれこれ一ヶ月くらいかかりましたが、後遺症も無くほっとしています。

ご報告が遅れましたが、いろんな方々に心配していただき痛み入ります。

みなさん本当にありがとうございました。




2014年7月23日水曜日

めまい

先週の月曜日。

自宅で激しいめまいと吐き気にみまわれ、生まれてはじめて救急車を呼びました。

病院でCTを撮りましたが脳に出血はなく、そこでは耳の病気だろうと診断され、

めまい止めの点滴を打った後、まだ歩けないのに、後日耳鼻科へいってください。

と言われて追い返されました。

帰りはほんと大変でした。歩けないのでタクシー運転手の方におんぶしてもらい、

家の中まで連れて帰ってもらいました。あの時の運転手さんに、ほんと感謝です。

こういうとき、一人ぼっちってのは苦しいですね。他人に迷惑もかけてしまうし。



4日間寝たきり生活で、木曜の晩からやっと立てる様になりました。

はじめの2日間は何も食べれず死体のように寝たきりで生きていました。。

3日目からそろそろ体がヤバイ状態になってきたので、這って冷蔵庫まで行き、

残り物を一時間くらいかけて少しだけ食べました。

その光景はおそらくリングの貞子に似ていただろうと思います。



あれから一週間が経ちますが、軽くなったとはいえまだまだめまいが

止まらないので、今日耳鼻科へ行ってきました。

結論から言うと、ここでは耳の病気ではないかも知れないと言われ

少し落胆しています。

来週になってもめまいが治まらなかったら、脳神経外科を紹介するので、

そこでMRIを撮ってもらった方が良いと言われ、もう死ぬのかな?なんて思ってます。



身辺整理が必要かも。

2014年5月30日金曜日

今だ迷走中

久しぶりにブログ更新。

母が亡くなってから早や4ヶ月ほど経ちますが、今だ明確な生きる理由は見つからず。

28日の誕生日で49になり、おそらく人生最後の軌道修正のタイムリミット

だというのに何もやる気がしない状態です。

片思いの恋が成就すれば大きく変れそうですが、それも叶わず迷走中です。


そんな中、交通違反の累積で2ヶ月の免許停止になり夜の送迎の仕事を辞めました。

その代わり、お昼の仕事先で夜も雇ってもらえることになり、

片道20分の自転車通勤でがんばってます。


焦ってもストレスが溜まるばかりなので、しばらくは時間に身をゆだねることにします。






2014年2月9日日曜日

生きる理由


平成26年2月5日10:30分、母が永眠しました。


母の介護から解き放たれた安心感が、母の死という悲しみをかき消したのか?

とても悲しいはずなのに涙が出なかったことが一番悲しい。


死因は閉塞性動脈硬化症、下肢壊死、および敗血症。

死を迎える5日前に先生から、もって一週間だと言われ、毎日苦しそうな母を

見ているのは本当に辛かったです。


7年間の介護生活の中で疲れ果て、母に暴言を吐いてしまったり、

口を利かなかったり、誤りたい事がいっぱいあります。

もっと、もっと、もっとやさしくしてあげれたら良かった・・・・・・・・・・・。

母上殿、私は良い息子でしたか?


ずっと、病気の母の面倒を見る事を理由に生きてきました。

その母が亡くなった今、私の生きる理由は無くなりました。


それでも生きていかないとダメ?

見つかるかな?・・・・・・・生きる理由。




2014年1月13日月曜日

私の音楽

先日、ある方からメールをいただき、どのように作曲や編曲を学ばれたのかという質問

を受けましたので、良い機会かと思いブログで紹介することにしました。



生い立ちは、幼少の頃からピアノを習っていましたが、演奏者として才能が無いことに

気づき作曲を志したというところでしょうか。

家庭の事情で専門学校などには行けず、バンド活動やカプコンでの仕事を通しての、

まったくの独学です。



私の作曲はパッチワークって感じです。。

無意識のうちに聴いたことのあるフレーズによく似た物が浮かび、

それをつなぎ合わせて作ってるんような気がします。

当然その中で好みのフレーズが多用されて、それが個性となり

何とか節とか言われるんでしょうかね。

だから、好き嫌い無くいろんなジャンルの曲をたくさん聴いてきましたよ。

詰まるところ、私の作曲はいっぱい音楽を聴くことですかね。



なにも無いところから作品を作り出すのは天才だと思います。

史上初の12音階での曲を作ったハウアーさんはまさしく神だと思います。



編曲に関しては、さすがに思いつきでは解決できないので、音楽理論の本を読み漁り

独学で何とか基本的な物は勉強しました。しかし、応用的な部分はやはりバンド活動

や仕事を通しての実践で経験して得た物がほとんどですね。



余談ですが、私が始めて曲を書いたのが高3の時。

このとき最初で最後の作詞もしています。

恥ずかしながら失恋した勢いで未練たらたらラブソング。キモ~い!

当時のヤマハコンクールPOPCON地区予選で次点(二位)となり

ちょっぴり嬉しかったです。でも審査員の総評で曲は良いけど詩がド素人と言われ

詩を書くのはその時以来辞めています。



ダラダラと偉そうに語りましたが、わたしの音楽の器など小さなオチョコく一杯くらい

なもので、まだまだ死ぬまで勉強や経験をして器を大きくしていきたいと思っています。


2014年1月4日土曜日

今年も悲年

あけましておめでとうございます!!



今年こそは、ただ何も無い平穏な年を願って、

まだがんばろうって決意したばかりなのに・・・・・・・・・・・。



昨年末から、また母が入院しているのですが、担当の先生から血流障害の為

足を切断しなければならないと宣告されました。



切断して助かればいいですが、透析患者で心臓にも病気を抱えている母の手術には

リスクが大きいと先生も悩んでいる状況。でも放っておいても足が腐ってしまうので

選択肢はありません。もし助かってもお互いの生活は大きく変わることになるでしょう。



希望とか夢を持とうとするから悲しいんだ。

「希望」とか「夢」という言葉がこの世から無くなればいいのに!!



新年早々不快な愚痴ですいません。

でも叫ばずにはいられない。

いつまでつづくのでしょう?この悲しみの連鎖。

はたして出口はあるのだろうか?